子供を殴るしつけ、その是非より意味をしっかり理解する

しつけのために

子供に手を出すのは絶対ダメ!

というネット記事をよく見かけます。

 

しかし、個人的な意見ですが、

私はこれらの記事を見て

あまり本質的でないような気もします。

 

一般的に「暴力」と言われるような行為は

当然認められませんが、

あなたが認識している

「殴る」とか「体罰」ということを


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私や他の人が同じように

認識しているとは限りません。

 

子供に手を出すというのは、

叩く、つねる、殴る、蹴る など

様々ですし、

 

言葉の暴力は

体罰以上の影響があるかもしれません。

 

何も前提のないところで

良いとか悪いとかいう話をしても

仕方がありませんね。

 

子供の年齢についても...

 

その頻度についても...

毎日そんなことやれば、

まさに虐待ですし、

年に一度、ガツンとやるのとは

全く意味が違うでしょう。

 

それに、私たち親側の心理状態、

普段どのようなコミュニケーションが

子供と取れているのか

などなど

 

表面上は同じ行為のようでも、

背景がそれぞれ違うわけですから

子供への影響が等しいはずはありません。

 

少し話を分かりやすく整理する

必要がありますね。

 

基本的に幼児に体罰はダメ

というのが前提です。

特に5歳くらいまでの幼児期。

 

生まれたばかりの子供には

自我というのはありません。

それは、

自我というものがその子の経験、

その記憶によって確立されからです。

 

つまり、生まれてから

5歳ぐらいまでに経験したこと、

その記憶が、自我の中心(コア)の

部分になっていきます。

 

当然、あなたから受けた「愛」や

「温もり」という記憶が中心である子と

逆にあなたが与えた多くの記憶が

「恐怖」や「苦痛」である子

 

自我の要素がまるで違います。

 

子供たちは、

あなたの言葉や行動に表現されない

感情や内面も

敏感に受け取り記憶しますから

 

その時期の一番身近な人

つまり、母親であるあなたの

精神状態からも大きく影響を受けます。

安心、感謝、歓び、不安、恐れなど、

あなたが感じていた感情です。

 

あなたのお子さんの人生が「愛」を

中心にした豊かなものになるか

「恐怖」や「苦痛」におびえて生きるか

この時期である程度

決まってしまうということです。

 

ちょっと怖い話ですが...

こういうことがあると認識してください。

 

もちろん、

これはどちらかに2分されるということでなく

どちらの傾向に偏るかということです。

 

自我は幼い記憶が

大きな要素になって創られますが、

他にも、自分と他を分ける「分離意識」が

自我が本来持つ大きな要素です。

ネガティブな記憶と「分離意識」を結合すると

まわりと比べて感じる「劣等感」や

他の人の幸せが許せない

「嫉妬心」「意地の悪さ」となって現れます。

 

この「自我のネガティブな習性=エゴ」によって

人は悩みや苦しみを自分で創り出します。

この自我が、幸福な人生を送れるか送れないかを

決定づけるといっても過言ではありません。

 

お子さんへの体罰が

いかに危険な行為であるか理解できたと思います。

 

とにかく、幼児期の小さな子供に

善悪や他の人がどう思うか、

というようなことを伝えるのは

非常に難しいでしょう。

 

少なくとも、体罰という方法で

あなたのお子さんに伝えられるのは

 

「恐怖」と「苦痛」、これだけです。

これを使うのは「危険」を回避する手段に

限定するべきでしょう

 

幼児期の「しつけ」に

体罰はマイナス部分が大きすぎる

と認識しましょう。

 

6歳過ぎれば良いのか?

という疑問が出てくると思います。

 

少し考えて見てください。

 

1.愛を中心に自我を確立した子

2.恐怖と苦痛を中心に自我確立した子

 

あなたが、同じ気持ちで

この1と2の子供に同じ体罰を行ったとき

どうなると思いますか?

 

それと、

あなたがもし体罰を行ったとして

その時のあなたの気持ちが

どこにあったのか...

 

行為の中心が愛なのか...

それとも、あなたはその子を

「自分の思い通り」

にしたいだけだったのか。

 

当然、結果は変わって

当たり前だと思いませんか?

 

私自身、

過去に父親に殴られたことが

一度だけあります。

高校受験のときの


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進路の問題の話をしているときに

 

「高校に生きたくない!」

 

という私に激怒した父が手を出しました。

言い方もかなり生意気だったのでしょう

貧しい家庭で育って苦学した父にとっては

私の態度が許せなかったのだと思います。

 

でも、このことが

「良い思い出」になったかどうかは別にして

それが、私の人生に、

「トラウマ」のような悪影響を

およぼしていることはないと思います。

父の行為は私に

言葉より明確なメッセージ

として伝わりました。

 

私はみんなと同じ進路が嫌で、

その先に待ち受ける大学受験も嫌でした。

なので、その一件をきっかけに

高等専門学校に進むことを決めて

勉強を始めました。

学力がよかったわけではないので、

先生には無理だといわれましたが、

結果、合格することが出来たんです。

 

父親にとっては殴った甲斐が

あったのではないでしょうか?

 

私が小学校、中学生のころは、

学校でも先生から頭を「ゴツン!」

なんてこともありましたが

今、先生がそんな事すれば、

ネットで流布されたり、

マスコミ沙汰になりかねません。

 

結局のところ、あなたがお子さんに

「手を出す」「出さない」

どちらが良いか?

 

そんな上っ面の話をしても

意味がない

ということではないでしょうか?

 

あなたの言葉も行為もメッセージです。

もし、あなたのお子さんが

それを受け取る準備があるなら

そして、あなたが

リスクを冒す覚悟があるなら

体罰もありかも知れません。

それは、あなたが選んで

あなたが責任を取るしかありません。

 

今からでも遅くない

先に幼児期の体罰のことを書きましたが、

あなたのお子さんは既に

中学生や高校生、大学生かも知れません。

 

「小さいときに、

怒鳴ったり、抓ったり、

お尻叩いたりとかいっぱいしちゃいました。

もっと酷いことしたかも知れません。」

「それに、育児中は不安で

いつもイライラしてました。」

 

「もう遅いでしょうか?」

 

あなたは、ここまでの記事を見て、

そう後悔をしてるかも知れませんね。

 

知識があったら回避できたことも

確かにあるかも知れませんが...

 

でも結局のところ、あなたの自我

(ネガティブ面とポジティブ面両方)が、

子育てを通して、

 

あなたのお子さんの自我にコピーされた

 

それだけのことかも知れません。

 

あなたが、怒鳴ったり、抓ったり、

お尻叩いたり、イライラしなくても

はたして結果に大きな差はあったどうか?

これは分かりません。

 

そういうと、元も子もない

と思われるかも知れませんが、

 

諦めるのは未だ早いです。

 

あなたが、お子さんの自我を

幸せな人生を送れるように

ポジティブなものに変えたいと思うなら

あなたが、本当にそう願うなら、

 

方法はあります。

 

今から、あなた自身が自立し

あなたが今、抱えている

「不満」「不安」「悩み」を

誰かのせいにするのでなく

あなた自身で

「豊かな人生を創造する」と決断することです。

 

その為に、あなたは、あなたの

「自我の習性」を認識して

あなた自身の自我の記憶を

「愛」「温もり」「安心」「歓び」

というポジティブな記憶に

書き替えることです。

 

そのために、

学び、実践し、努力する...

 

私自身、

小学生になる男の子がいますが、

彼の幼児期ははっきり言って

無残な母親でした。

 

だから、彼の自我は決して

「愛」の記憶で満たされては

いないはずです。

「苦痛」や「恐怖」が

多くを占めているでしょう。

 

それだから今、私は自身の自我を

「苦痛」や「恐怖」から解放し

「愛」を中心に豊かに生きて行こう

と決断し努力しています。

 

私の自我と息子の自我は

まだどこかで繋がっているし、

私が成長し私自身が

まわりを明るくできる存在になる。

私自身が今よりも

もっと幸せになることしか

方法がないからです。

 

さあ、あなたはどうしますか?

 

まとめ

 

人間の自我の中心は

幼児期の記憶で出来ている。

子供の幼児期の記憶に

ネガティブな要素を

なるべく入れないようにする。

善悪などの判断を

幼児に教えるのは無理。体罰は

危険を冒しそうになった時だけにする。

小学生以上には、

体罰の良い悪いはあなたの判断。

幼児期の子育てに失敗したと思っても

諦めない。

あなた自身が幸せになることが大切。

それが我が子の幸せにつながる。

 

 

 


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